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東京高等裁判所 昭和47年(う)1318号 判決

被告人 土屋秀男

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮九月に処する。

この裁判が確定した日から二年間右の刑の執行を猶予する。

原審および当審における訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、東京高等検察庁検察官合志喜生提出の横浜地方検察庁検察官栗本六郎名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、弁護人佐々木功提出の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一、原判決の理由不備及び理由そごをいう主張について。

所論は、(一)原判決は過失の点を除き公訴事実とほぼ同旨の事実、すなわち被告人車の本件交差点進入時の速度が時速約五〇ないし六〇キロメートルであること、本件交差点はいずれも幅員約一一メートルの車道部分とその両側の幅員約三・五メートルの歩道部分からなる道路が直角に交差する交差点であること、被告人の進路と被害者西山栄の進路は互に見とおしがよくなく、右交差点は道路交通法四二条にいう左右の見とおしのきかない交差点にあたることを認定したうえ、さらに被告人の運転が一般的にいつて同法四二条所定の徐行義務に違反しておるばかりでなく、その違反が本件事故発生と条件的因果関係があると判断しながら、その違反を事故の原因と認めることはできないと判示しているが、条件的因果関係の存在が本件事故の原因と何故無関係であるか、その理由につき首肯すべき合理的な説示を欠いている。もつとも、原判決は西山車の進行する道路の本件交差点直前に一時停止の道路標識が設置されており、同車が右の標識に従つて一時停止する以上、被告人車が徐行しなくても両車の衝突は避けられた旨の説示をしているが、それは被害者西山にも過失があつたという理由にはなり得ても、被告人の徐行義務違反の過失と事故との因果関係に消長をきたすものではない。被告人の過失を否定する原判決には、その否定する根拠につき理由不備があるといわざるを得ない。(二)また、原判決は本件交差点が道路交通法四二条にあたり、被告人には徐行義務違反があると認定しながら、西山車の進路に同法四三条による一時停止の道路標識が設置されているから、被告人としては西山車が右の道路標識に従い一時停止することを信頼して進行すれば足り、西山のようにあえて交通法規に違反して高速度で右交差点を突破しようとする車両のありうることまでも予想して一時停止又は減速徐行し、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるとは認めがたいとし、いわゆる信頼の原則にもとづき、被告人には本件交差点における徐行義務はないと説示している。しかし、道路交通法四二条の法意は、交通整理の行なわれていない左右の見とおしのきかない交差点では、そこを進行するすべての車両に一律に徐行義務を課していると解すべきである。原判決は、被告人車が徐行することなく、時速約五〇ないし六〇キロメートルの高速度で交差点に進入した明白かつ重大な法規違反をおかしていること―しかも、その違反が本件事故の原因である―を認めながら、この事実に目をおおい、被害車両が一時停止をしておれば事故を避けられたと被害者側の過失のみを過大に評価し、また一時停止の道路標識があれば、これと交差する道路は反射的に徐行の必要のない優先道路であるとの誤まつた考えから、信頼の原則を適用して被告人には徐行義務がないとして、その過失を否定したものと思料されるのである。しかし、本件の場合、かかる明白かつ重大な法規違反をしている被告人に対し信頼の原則を適用する余地は全くないから、原判決には理由のそごがあるといわざるを得ないというのである。

そこで考えてみるのに、原判決は、被告人が道路交通法四二条の定める一般的な徐行義務に違反し、徐行を怠つたことが本件の結果発生との間に条件的因果関係があるけれども、右の交通法規違反があることが、ただちに、刑法上、個別的な業務上の過失があることには当らないという見解のもとに、本件の具体的な道路および交通の状況においては、被告人は、左方道路から本件交差点に進入する車両が一時停止の道路標識に従い一時停止することを信頼して進行すれば足り、それ以上に、あえて法規に違反して一時停止することなく高速度で交差点を突破しようとする車両のありうることまでも予想し安全確認をすべき業務上の注意義務を負うものではないとし、被告人には過失は認められないと判示しているものであつて、いわゆる信頼の原則にしたがい、被告人に注意義務に違反した過失がないとした判断の当否はともかく、その判断の論理過程には、無罪判決として不合理、不十分と認められる点は存しない。したがつて、この点では、原判決には理由不備ないし理由のくいちがいはなく、論旨は理由がない。もつとも、原判決の法律判断にしたがえば、被告事件が罪とならないものとして刑訴法三三六条前段により無罪の言渡をすべきところ、原判決は、その証明がないことに帰するとして同条後段により無罪の言渡をしている点において法令の違反があるといわざるをえないけれども、この違法は判決に影響を及ぼさないことが明らかである。

控訴趣意第二、法令の解釈適用の誤り、判例違反をいう主張について。

所論は、原判決が本件においていわゆる信頼の原則を適用したのは、道路交通法四三条の一時停止標識のある道路と交差する道路については、左右の見とおしのよし悪しにかかわらず同法四二条の徐行義務が解除されるという考えに基づくものと解せられる。しかし、被告人の進行道路は、優先道路または、交差道路よりも幅員の明らかに広い道路でもない(原判決も認定しているように交差道路の幅員とほぼ等しい幅員((車道部分の幅員は約一一メートル))の道路であり、両道路の差は被害車両の進路上に一時停止の道路標識があるだけである。)このような場合において、被告人車について同法四二条の徐行義務は免除されないものと解すべきである。なぜならば、優先道路または当該道路の幅員が明らかに交差道路のそれよりも広い道路を進行する場合には、その運転者にも、また交差道路を進行する車両等の運転者にも、当該交差点における優先通行の順位が明らかになつており、その間に混乱の生ずる余地が少ないが、本件のように、双方の道路の幅員がほとんど等しいような場合には、交差道路に一時停止の標識があつても、運転者にとつては、その標識の存在を認識することは必ずしも可能であるとは限らず、もし右認識を有する者についてだけ、同法四二条の徐行義務を免除することにすれば、当該交差点における交通の規制は一律に行なわれなくなり、かえつて無用の混乱を生ずるからである(昭和四三年七月一六日第三小法廷判決)。原判決は道路交通法四二条の解釈、適用を誤まり、かつ右の最高裁判所の判決にも違反するというのである。

先ず、原判決の「一部無罪の理由」をみると、原判決は本件交差点は交通整理の行なわれていない、左右の見とおしがきかない交差点であり、かつ被告人車が進行した道路と西山車が進行した道路とは双方とも幅員(車道のそれは約一一メートル)がほぼ等しいことを認めたうえ、相手方西山車の進路には同法四三条の一時停止の標識が設置されていたことを考慮しても、交差点へ時速約五〇ないし六〇キロメートルで進入した被告人には一般的にいつて同法四二条の徐行義務に違反しているものということができるし、本件の具体的状況、すなわち「西山車は一時停止の標識に従い右交差点手前において一時停止することなく、明確ではないが被告人車と少くとも同程度の速度で右交差点に進入したものと窺え、これと本件衝突地点(右交差点中心からやや相模原駅及び清新寄り)から窺える被告人車及び西山車の各進路並びに前記認定の道路状況から考えると、被告人及び右西山が注視を怠らなければ、本件衝突地点から約二〇メートル手前でお互の車両を認め合うことができ(現に如何なる状況で認め合つたかは証拠上不明である)、又被告人からは、西山車進路の右交差点直前に設けられている一時停止の道路標識付近を相当遠くから見とおせるし、被告人車が右交差点入口付近に至つた際西山は未だ右一時停止の標識付近に達していなかつたものと考えられることから、西山車が一時停止する以上、被告人車が徐行しなくても両車の衝突の危険は避けられるものと判断され、更に右西山として右一時停止の標識を発見できないような事情もなく、被告人車に対する関係で事故の発生を防止するため一時停止をする必要があることを十分認識しえた状況にあつたものと認められる」とし、「右のような事実関係に照らすと、被告人に一般的徐行義務違反があり、それと本件事故との間に条件的因果関係があるとはいえ、本件事故に関する限りは、被告人としては、左方道路から右交差点に進入する車両が右道路標識に従い一時停止することを信頼して進行すれば足り、右西山のようにあえて交通法規に違反して高速度で右交差点を突破しようとする車両のありうることまでも予想して、一時停止又は徐行し、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるとは認めがたい」と判断し、いわゆる信頼の原則を適用し、公訴事実中の業務上過失致死・同傷害の点につき被告人を無罪としたものであると解せられる。

そこで考えてみるのに、本件行為当時における道路交通法四二条の解釈として、交差道路に一時停止の道路標識が設けられている場合にそれだけでは同条所定の徐行義務は免除されないとすることは判例上ほぼ確定しているところである〔ただ、自車の進路の幅員が明らかに広いため同法三六条により優先通行権の認められているときには徐行義務が免除されることについては、最高裁判所の累次の判例が存する(昭和四三年七月一六日第三小法廷判決・刑集二二巻七号八一三頁、同年一一月一五日第二小法廷判決・判例時報五四一号八四頁、昭和四四年五月二日第二小法廷判決・判例時報五五四号九四頁各参照)〕。もともと、同法四二条が、交通整理の行なわれていない左右の見とおしのきかない交差点につき車両等に徐行義務を課したのはいうまでもなく、この交差点での車両同志の出合い頭の衝突を避けようとしたことに主眼があると解されるのであり、そしてことはつねに、単に一般的な道路交通法上の徐行義務の存否という観点だけから論ぜられているのではなく、徐行をしなかつたことが具体的に刑法上の注意義務の違反となるかどうかという観点から考えられているのであつて、近時いわゆる信頼の原則が云々されるのも具体的な事件における刑法上の過失行為として徐行義務が問題とされていることはいうまでもない。ところで、本件行為当時の道路交通法二条二〇号に、車両が直ちに停止することができるような速度で進行することをいうとある徐行とは、一般に停車の手段を施すときは惰力進行を加算しても優に衝突をさけうる程度の速度すなわち時速約一〇キロメートル程度ということになるであろう。しかして同法四二条が交通整理の行なわれていない左右の見とおしのきかない交差点で車両等に徐行義務を課しているのもかかる場所での道路交通の安全と円滑という矛盾する二つの要請を調整する趣旨のものと解されるから、ことを刑法上の注意義務の観点からみても、徐行とは交差道路からくる車両の有無、動静を確認し機に応じて交差点の直前で直ちに停止しうる程度に予め減速して進行することをいうと解するのが相当で、ここにいう徐行もやはり時速約一〇キロメートル前後ということになるであろう。ただ、その減速の程度は、通常は、交差点に接近するにともなつて次第に深まつていくが、他面、この接近にともなつて左右の見とおしも好転し、また、自車が交差点を先に通過しうるかどうかの判断も可能となり、安全通過を確認しうるにいたればそのままもしくはむしろ若干加速してでもすみやかにその交差点を通過すればよいことになるであろう(この関係は、交差点の手前に一時停止の道路標識が設けられている側の車両についても、一旦一時停止して交差点の安全を確認したのちにおいては全く同様であるといえる。)。そこで、問題は、われわれの現状認識として、交差点における一時停止の交通規制の順守がどの程度期待できるかということにかかつてくる。われわれの現状認識としては、一時停止の交通規制は、交差点において信号機によつて交通整理が行なわれている場合などとは異なり、本件のように夜間で交通の閑散な道路のような場合は、それほどには順守されていないというのがむしろ通常経験するところであると考えられる。これを原審記録中事故後約二〇日を経た昭和四五年二月六日に撮られた写真撮影報告書(記録一一一丁以下)によつてみても、交差車両(西山車)側には交差点の手前直近になるほど一時停止の標示板は認められるけれども、停止線がひかれていたかどうかも明瞭でなく、原判決がいうように「西山として一時停止の標識を発見できないような事情もない」とたやすく断定できないものがある(現に西山はこの標識を看過している。)。また、一時停止の道路標識はもともと交差道路に関するものであるから、これと交差する道路側の運転者(本件の被告人)において予めその存在を知つていたかどうか、また現実にそれを認めたかどうかによつて被告人の徐行義務の存否に消長をきたす性質のものでないことは業務上過失被告事件についてなされた前掲昭和四三年七月一六日第三小法廷判決の指摘するとおりであるといわなければならない。次に、原判決が「被告人車が交差点附近に至つた際西山車は未だ一時停止の標識附近に達していないものと考えられる」とする判断は、「被告人車が時速五〇ないし六〇キロメートルの速度であつたこと」および「西山車も明確ではないが被告人車と少くとも同程度の速度で交差点に進入したものと窺える」と認定し、しかも、本件衝突事故が交差点のほぼ中心付近で発生したという疑いのない事実と明らかに矛盾するといわなければならないのであつて、被告人車が交差点付近に至つた際には西山車もまた一時停止の標識付近に達していたことは証拠上明らかである。ただ、西山車が一時停止する以上、被告人車が徐行しなくても両車の衝突の危険は避けられたことは原判示のとおりであろうけれども、そのことから、被告人車の方は時速約五〇ないし六〇キロメートルの速度のまま、交差点の直前において徐行することも、徐行して左右の安全を確認するという業務上の注意義務を尽くすことなく進入してよいとする道理はないのである。

要するに、原判決は、被告人の交差点直前における速度が毎時五〇ないし六〇キロメートルであつたことを認定し、本件交差点が交通整理の行なわれていない左右の見とおしのきかない交差点であることを認定し、したがつて被告人に一般的徐行義務違反があり、これと本件事故との間に条件的因果関係にあることを肯定しながら、交差道路側に一時停止の道路標識があつたのであるから西山車が一時停止するであろうことを信頼して進行すれば足り、被告人車としては、一時停止又は減速徐行して事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるとは認めがたいとして被告人に業務上の過失行為としての徐行義務違反を否定したやすく無罪を言い渡したのは、道路交通法四二条および刑法二一一条の解釈適用をあやまつた結果業務上の過失あるものを過失なしとしたもので、このあやまりが判決に影響を及ぼすことは明らかであり、かつ、所論が引用する前掲最高裁判所の判例にも違反するといわなければならない。なお、この点に関し参考となるのは、昭和四三年一二月一七日最高裁判所第三小法廷判決(刑集二二巻一三号一五二五頁)である。その要旨は、交通整理が行なわれておらず、しかも左右の見とおしのきかない交差点で、他方の道路からの入口に一時停止の道路標識および停止線の表示があるものに進入しようとする自動車運転者としては、徐行して、その停止線付近に交差点にはいろうとする車両等が存在しないことを確かめた後、すみやかに交差点に進入すれば足り、本件相手方のように、あえて交通法規に違反して、高速度で、交差点を突破しようとする車両のありうることまでも予想して、他方の道路に対する安全を確認し、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務はないものと解するのが相当である、というのであつて、本件のように、自ら徐行して左右の安全を確認することなく時速約五〇ないし六〇キロメートルの速度で進入する場合にまで刑法上の過失を否定するのは、判例の不当な拡張であるというべきである。以上の次第で、この点の論旨はすべて理由がある。

よつて、その余の論旨について判断するまでもなく、刑訴法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、本被告事件についてさらに判決をする。

(罪となるべき事実)

原判決が確定した事実を第一とし、次の事実を加える。すなわち、

第二「被告人は、自動車運転の業務に従事中、昭和四五年一月一七日午後五時四〇分ころ、普通乗用自動車を運転し、神奈川県相模原市中央四丁目二番先の交通整理の行なわれていない左右の見とおしのきかない交差点を、上溝方面から相模原駅方面に向け、時速約五〇ないし六〇キロメートルで直進するにあたり、同交差点手前で徐行して左右道路の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務を怠り、左右道路に対する安全確認を欠いたまま漫然前記速度で同交差点に進入した過失により、おりから左方道路より進入して来た西山栄(当一九年)運転の普通乗用自動車に気付かず、同車右前部に自車左前部を衝突させ、よつて、自車の同乗者斎藤貢(当時二七年)を頭蓋底骨折、脳挫創の傷害により同月一九日同市内所在の伊藤病院において死亡させたほか、前記西山栄に対し、全治約一か月半を要する頭部外傷、顔面挫創等の傷害を負わせたものである。」

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

原判示第一の所為は、道路交通法六四条、一一八条一項一号に、当裁判所が認定した判示第二の各所為は刑法二一一条前段、改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号(刑法六条、一〇条による)に該当するところ、後者は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから刑法五四条一項前段、一〇条を適用して犯情の重い斎藤貢に対する業務上過失致死罪の刑に従い、前者について所定刑中懲役刑を、後者につき所定刑中禁錮刑を各選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条に則り刑期の重い後者の罪の刑に同法四七条但書の制限に従つて法定の加重をした刑期範囲内で処断すべきところ、情状について考察するに、記録に顕われた本件犯行の動機、罪質、態様、業務上過失致死、同傷害における過失の内容、程度、被害の重大性、ことに被告人は昭和四三年九月ころ会社への通勤用に使用する目的で本件自動車を購入してから、約二か月間は友人に運転してもらつていたが、その後は毎日自分で運転して通勤していたもので、無免許運転は常習的であつたとみられること、また業務上過失致死、同傷害の点についても、時速約五〇ないし六〇キロメートルの速度で全く左右道路に対する交通の安全を確認せずに本件交差点内に進入したもので、その過失の程度も軽いとはいえないことなどの犯情に照らすと、被告人の刑責は軽視できないが、他面被害者西山が本件交差点内へ一時停止標識を見落として、被告人車とほぼ同一の速度で進入した過失は被告人の過失よりも大きいこと、被告人には前科前歴がなく本件について深く反省し、被害者および死亡被害者の遺族らとの間に示談を整えたことなどの被告人にとり斟酌すべき諸事情があり、以上の諸般の情状にかんがみ、被告人を禁錮九月に処し、刑法二五条一項一号に則りこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、なお原審および当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文を適用して被告人に負担させることとし、主文のとおり判決をする。

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